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松村比呂美:作     
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第1話

  給料明細書を眺めつつ、真季子は何度目かのため息をついた。
 自分が格差社会の底辺にいることに気づいたのは、いつ頃だっただろうか……。
明細書は、いたってシンプルなもので、見続けても、20万の額が増えるはずもない。短期の派遣社員のため、ボーナスは出ないし、年金や健康保険料の自己負担額も大きい。
ワンルームの部屋を見回してみる。無理をして買った白いソファも、革の手入れをしていないので黒ずんでしまった。ベッドは、いつのまにか洋服の置き場所となり、一年前からソファで寝起きしている。
雑然とした部屋全体が、自分の投げやりな気分を映し出している気がした。
実家を出たのは5年前、24歳のときだ。夢を抱いてのひとり暮らしだった。新築の賃貸マンションに自分の好きなものだけを置いて、こだわりのある部屋にするつもりだった。これで、付き合い始めたばかりの圭介にも自由に泊まってもらえる。
いいことばかりを考えていた。
実際、貯金をはたいてソファやベッドを買ったし、ペアの茶碗やグラスなどを揃えたりもした。
家賃に圧迫されて、毎月の生活はぎりぎりになったけれど、デートの費用は、ひとつ年上の圭介が出してくれたし、毎日を楽しく過ごすことができていた。
そのまま圭介との交際が続き、彼と結婚すると思っていた。私だけでなく、両親も、友人も、みんなそう思っていただろう。そう思っていなかったのは、圭介だけだった。
「俺たち、だめかもな……」
水族館デートが終わって、電車に乗っているとき、突然、圭介が別れの言葉を口にした。
 真季子は、訳がわからず、首を傾げることしかできなかった。
「俺、真季子の負担になるようなこと、してないよね。割り勘なんて、けちなことをしたこともないしさ。それに、結婚しようなんて、一度も言ったことないよね」
 圭介は、真季子の顔を見ないまま、言葉を続けた。
「私、圭介におごってもらい過ぎた? たまには、出せばよかったね。でも、圭介、うちによく泊まりに来てたし、それでバランスが取れてると思ってた」
そうだ。彼の誕生日は、いつも手料理を作っていたし、デートの費用を圭介が全部もったとしても、ホテル代が浮いていたのだから、バランスは取れていたはずだ。
「いずれは、財布も一緒になると思って……」
 圭介が黙り込んだので、真季子は小声で言った。
空いているとはいえ、電車の中だ。周囲の目が気になる。
「俺、結婚するなんて言ってないよね」
 圭介は、片方の口の端を持ち上げるようにして笑い、同じ言葉を繰り返した。
 この人、こんな笑い方をする人だっただろうか。
 真季子は、そんなことを考えながら、顎の線の細い、圭介の顔を見ていた。

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